前回は、「神事について」思うことをお話ししました。
神事というのは、情報空間から物理空間への写像関数に影響を与えるのではないか、という話でした。
https://www.mokutanya.com/f9gm
さて、今回は「本当にやりたいこと」について。
何だか今、老いも若きも「本当にやりたいこと」について、思い悩んでいるような気がします。
私も考えてみましたが、どうもこれはそんな簡単に見つかるモンじゃないように思います。
もちろん、そうでない人も中にはいるでしょうけど。
先日、「天命の暗号」という本↓を読んでみました。
https://www.ndana.com/url/file/ango.html
この本の主旨は、さまざまな質問を通して、天命を見つけよう、というものです。
その最初の質問は、
「あなたには、自分だけの天命があるだろうか」
というものです。
こう聞かれて、スラスラ答えられたらと思うんですが、「うーん」と考え込んだだけでした。
いわゆる自己啓発の本とは異なり、なかなか深い内容です。
とはいえ、本書を読み終わっても、まだまだ天命なんてわかりません。
やりたいことではなく、逆に「やりたくないことをリストアップする」ということも聞いたことがあります。
例えば、
・満員電車に乗りたくない
・ネクタイ、嫌い
とか。オレか(笑)
でもこんなことしても、本当にやりたいことにはたどり着けないと思います。
山登りをする方なら、共感してくれると思いますが、短時間で簡単に行ける山って登ってもそれなりですよね。
これが、朝5時前に起きて眠い目をこすりながら歩き始め、午後3時近くまでクタクタになって登る、と着いたときにはホントに達成感ありますよね。
だから、やりたくないといって楽な方を選んでも、けっして満足できないと思うんです。
仕事でもスポーツでもそうですが、ある程度やってみると、その難しさがわかってきます。
そして、そこではじめて本当のおもしろさってわかってきますよね。
だから思うんです。
こういう天命とか本当にやりたいこととか考え続けることって、それほど重要なことかな、と。
考えてもわからないことを考えても、堂々巡りなだけですよね。
それよりも私は、まず「自分はどういう人間で在りたいか」ということを考えようと。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
で始まり、
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
で終わります。
まさに、この詩こそ、賢治自身の理想の生き方をうたったものです。
自分がどう在りたいかを考え、そのように行動していく。
本当にやりたいことがわからないと思い悩むより、ずっとかっこいい生き方だと思います。
今回はここまで。
次回は「運動について」について。
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■ 編集後記
前回紹介したこれ↓
https://www.ndana.com/url/file/mt.html
ウチでも買いました。いっぱい入っていて、うれしいです(^_^)v